浅草寺 東京都台東区浅草2-3-1
- 2013.03.29 Friday
- 20:50
パワースポット ☆☆☆☆
属性 地
営業時間 6:30〜17:00(4〜8月は6:00〜)
仲見世は8:00〜19:00くらい迄 店舗による
駐車場 近辺有料
浅草寺(せんそうじ)は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。
山号は金龍山。
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。
郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。
大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。
広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794〜864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。
江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。
かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。
本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。
元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。
観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。
東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。
江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
「雷門」
表参道入口の門。
切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。
慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたが昭和35年(1960年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建された。
実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものである。
門内には松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯がある。
三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれる。
風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年(1865年)の火災で焼失後、明治7年(1874年)に補作。
昭和35年(1960年)の門再建時に補修と彩色が加えられている。
門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53年(1978年)に奉納されたものである。
門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。
東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53年(1978年)に奉納されたものである。
西の金龍(女神)は仏師・菅原安男の作で奉納されたものである。
「仲見世」
雷門から宝蔵門に至る表参道の両側にはみやげ物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。
「宝蔵門」
雷門をくぐり、「仲見世」の商店街を抜けた先にある。入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものである。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっている。
2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用している。
耐震性の向上と参拝客に対する安全確保のため平成19年(2007年)に屋根改修工事を行い、軽量さと耐食性に優れたチタン成型瓦を全国ではじめて採用した。使用したチタンは表面にアルミナブラスト加工を施したものでそれらをランダムに配置することで土瓦特有の「まだら感」を再現し、瓦と変わらない外観となっている。また、主棟・隅棟・降棟・妻降棟すべての鬼飾もチタンで製作された。
「本堂」
本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。
内陣中央には本尊を安置する間口4.5メートル、高さ6メートルの宮殿(くうでん、「厨子」と同義)がある。宮殿内部は前の間と奥の間に分かれ、奥の間に秘仏本尊、前の間には「お前立ち」の観音像が安置される。宮殿の扉の前には「御戸張」と称する、刺繍を施した帳(とばり)が掛けられていて、時々デザインの違うものに掛け替えられている。毎年12月13日に開扉法要が行われ、短時間開扉されるほか、特別な行事の際などに開扉が行われる場合があるが、その際も参拝者が目にすることができるのは「お前立ち」像のみで秘仏本尊像は公開されることはない。宮殿の手前左右には脇侍の梵天・帝釈天像、宮殿の裏には秘仏本尊と同じ姿という聖観音像(通称裏観音)、堂内後方左右の厨子内には不動明王像と愛染明王像[2]を安置する。
2009年2月から2010年12月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われた。屋根の葺き替えは昭和33年(1958年)の再建以来50年ぶり。宝蔵門の改修工事でも用いたチタン成型瓦を採用。使用色も2色から3色に増やし、より粘土瓦に近い風合いを醸し出している。
沙竭羅龍王像(原型高村光霊作
昭和39年(1964)の建立で、浅草料理飲食業組合の寄進による。
天井には「墨絵の龍」(東 韻光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった
噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅(さから)龍王像)をまつる
花見とスカイツリーの観光客が大半だと思いますが、
この人のラッシュには驚きました。
ちなみに土曜日です
「影向堂」
観音さまのお説法やご活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆(ようごうしゅう)」とお呼びし、これらの仏さまをおまつりするお堂。
旧影向堂は、現淡島堂で二天門の脇にあった。
現在のお堂は、平成6年(1994)、浅草寺中興開山慈覚大師円仁(えんにん)さまのご生誕千二百年を記念して建立された。鉄筋コンクリート寄棟造り、錣(しころ)屋根本瓦葺。
内陣須弥壇(しゅみだん)中央に聖観世音菩薩、その左右に生れ年(干支)ごとの守り本尊八躰をまつる。
堂内には浅草名所(などころ)七福神の内の大黒天をお祀(まつ)りし、また浅草寺の御朱印所も併設されており、ご朱印をお求めになるご信徒の方々も大勢お参りになる。
「薬師堂」
慶安2年(1649)、江戸幕府第3代将軍徳川家光(1604〜51)の再建による三間四方のお堂は「橋本薬師堂」と呼ばれ、浅草寺に現存する古建築の一つ。
はじめ「北薬師」といったが、将軍御成りの時、かたわらに小さな橋が架かっていたことから、「北」よりもこの名前の方がよかろう、と名付けられたといわれる。
薬師如来のほか、薬師の十二の大願に応じて現れた分身「十二神将(しんしょう)」、冥界で死者の罪業を裁く十王(じゅうおう)をまつる。
「五重塔」
再建前の塔は慶安元年(1648年)の建立で本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。
現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。
基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカ・アヌラーダプラのイスルムニヤ寺院から招来した仏舎利を安置している。
なお、再建以前の塔は東側にあった。
その位置(交番前辺り)には「塔」と刻まれた標石が埋め込まれていたが、平成21年(2009年)、新たに「旧五重塔跡」と記された石碑が設置された。
周辺には木が植えられ、憩いの場となっている。
「六角堂」
浅草寺最古の建築物(東京都有
日限地蔵堂、木造単層・六角型瓦葺き造りの小堂(室町時
「二天門」の近くをぶらついてるとイベントを発見しました
23日(土) 小鹿野町子ども歌舞伎(埼玉県小鹿野町)
午後0時30分(浅草寺雷門前) 口上 開演披露
⇒ 午後1時・3時 「三番叟」 「菅原伝授手習鑑 吉田社頭車引之場」
ちょっと覗いてみることに
「第5回 浅草奥山こども歌舞伎まつり」
小1〜中学生1年生までの子供で構成してるみたいです。
小鹿野では200年前から歌舞伎が伝わっているようで、
11月の20,21日にお祭りもやってるそうです。
ホッピー通り牛スジストリートは大繁盛でした。
空いてるときは、店員さんの声かけが中華街の甘栗なみですが。
上野大仏 台東区上野公園 4-8番
- 2012.09.29 Saturday
- 19:13
パワースポット☆ ☆
ご利益 学業
観覧時間10:00〜16:00
結構この大仏様が悲劇的みたいで
永い歴史の中
幾度となく被災して、幾度となく再建され
関東大震災で又、被災して再建される、
時を待つ時 大平洋戦争に、
出会い胴体は、南の海に帰る
そして今は顔だけになってるとか。
これは「パゴダ」とよばれる建造物で
観光連盟が上野公園の名所のひとつとするために建設したもので
昭和四十二年三月着工、同年六月に完成した。
高さ十五メートル、内部には中央に薬師如来、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置している。
この薬師三尊像は、江戸末期まで東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、
明治初期の神仏分離令によって寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられた。
地震による数度の被災 幕末の上野戦争を体験し関東大震災を経験し
太平洋戦争に遭遇してて数奇な運命を経験した上野公園
上野大仏様は 人の背丈の上野大仏人の背丈ほど小さく成ったが
数々の 歴史が顔に まだ刻んである。
このお顔をさわると 心が安らぎ ご利益が付くと言われている
観覧ありやした!
豪徳寺 東京都世田谷区豪徳寺1-43-4
- 2012.07.09 Monday
- 21:54
パワースポット ☆☆☆
御利益 金運・商売繁盛・家内安全
営業時間 8:30〜18:00
駐車場 あり 無料
昔、貧乏寺であった豪徳寺で飼われていた愛猫が招いた吉運で、豪徳寺は井伊家代々 の菩提寺となり、大いに栄えたと伝えられています。
湯島聖堂 東京都文京区湯島一丁目
- 2012.07.04 Wednesday
- 19:04
パワースポット☆☆☆
御利益 学問
公開時間 ・午前9時半〜午後5時まで(冬季は4時)
・土,日曜,祝日には大成殿公開 (午前10時〜閉門時間まで) 閉館日
・夏季休業 8月13〜17日の5日間 ・年末休業
駐車場