武田神社 山梨県甲府市古府中町2611
- 2013.04.18 Thursday
- 21:06
パワースポット ☆☆☆
属性 地
御利益 勝運
境内自由(宝物殿は300円)
駐車場 無料
武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。
この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。
館跡には当時からの堀、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せます。
また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれております。
富士山小御嶽神社こみたけじんじゃ (山梨県富士吉田市上吉田)
- 2012.10.07 Sunday
- 02:06
パワースポット ☆☆☆
ご利益 家族円満
4月中旬〜12月中旬頃まで営業
駐車場 富士山5合目
拝殿
歴史は古く、937年創建されたようで
この神社は開運のパワースポットでもあるらしい
参拝をしたあと
賽銭箱の横に、扇子の形したおみくじ発見
本殿の横はこんな感じ
お土産屋があって中の客寄せが激しいです笑
5合目は2340メートルあるとか
山中湖
富士五湖の中で最も面積が広く、湖畔にホテルやペンション、別荘地が点在する自然豊かな湖。
目の前にそびえる富士を眺め、お洒落なカフェ、クラフト体験、多彩なレイクスポーツをのんびり楽しめる。
ご利益 家族円満
4月中旬〜12月中旬頃まで営業
駐車場 富士山5合目
拝殿
歴史は古く、937年創建されたようで
御神体は磐長姫命。
この神社は開運のパワースポットでもあるらしい
参拝をしたあと
賽銭箱の横に、扇子の形したおみくじ発見
本殿の横はこんな感じ
お土産屋があって中の客寄せが激しいです笑
5合目は2340メートルあるとか
山中湖
富士五湖の中で最も面積が広く、湖畔にホテルやペンション、別荘地が点在する自然豊かな湖。
目の前にそびえる富士を眺め、お洒落なカフェ、クラフト体験、多彩なレイクスポーツをのんびり楽しめる。
冨士御室浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町3951)
- 2012.10.04 Thursday
- 17:22
パワースポット☆☆☆
ご利益 安産・子宝
境内 自由
駐車場 あり
境内は河口湖湖畔に程近い場所にあります。
里宮は、本殿が南面し参道を通して富士山を遥拝する形になります。
一方山宮から移築された本殿は歴史的経緯もあって、北面しており里宮とはちょうど反対方向に面しており、本殿を通して富士山を遥拝するという形になり、二つの本殿が南北逆方向に面するという珍しい本殿の配置になっています。
里宮本殿は、歴史も古くエネルギーが定着しており、富士(浅間)のエネルギーがダイレクトに来ます。
一方の山宮本殿は昭和になって移築復元された新しいお宮ということですが、新しい神社はエネルギーが低いものとか定着していないものが多いなかで、元来が本宮であり二合目という場所にあったせいか、ちゃんと浅間様のエネルギーがあり、むしろ里宮より強いくらいです。
もとは富士山の2合目にあったもの
本宮
富士山最古の社
699年(文武天皇の御世)藤原義忠公が霊山富士二合目へ奉斉。
722年(養老四年)雨屋建立。
807年(大同二年)に坂上田村麿郷が蝦夷征伐の御礼として社殿創建
噴火のための数次にわたる炎上と、自然条件の厳しい場所のために不朽が激しく、
そのつど皇室及び、武田家をはじめとした有力な武将等により再興が重ねられた*
1974年(昭和49)、富士山2合目からから里宮のある現在地へ遷祀。
里宮は礼拝の便を図るため、1185年(文治元)に河口湖畔へ
造営された。
宝珠
958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、 老松繁る現在の場所へ建立。
以来武田家、小山田家、徳川家からあつい信仰や手厚い庇護を受けて来た。
現在の建物は、明治22年に再建。
河口湖に面し、喧騒と離れた静寂の中で、 歴史の風を感じられる。
木花咲耶姫命 (コノハナサクヤヒメ)を お祀りしている神社。
安産・家庭円満・身の潔白によって 守護を受けるといった 御神徳があるようだ。 武田信玄が長女の黄梅院の 安産を祈願して奉納した願文も 文化財として残っている。
夫婦円満
境内にはソメイヨシノなど約200本の桜が咲き誇る。
冨士御室浅間神社(旧称「小室浅間明神」)は
もともと富士山2合目にあった神社で、
参拝が不便なために
里宮と本殿が同一に参拝できる今の場所に
1974年に移築されたようです。
北口本宮富士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田5558
- 2012.10.04 Thursday
- 16:38
境内 自由
駐車場 無料
山梨に来て一件目に到着。
中央高速道や鉄道(富士急行)が富士吉田まで伸びていることと、吉田口河口湖と山中湖の間に位置することから、スピリチュアルワーカーの活動も吉田口が多いみたいです。
北口本宮の拝殿の空間は、富士大神に奥の奥まで見られているような、もしくは富士山の胎内にいるような独特の感覚があります。
富士山の麓の浅間神社として、富士大神(ふぢおほかみ)のエネルギーの強い神社を挙げるとするなら、富士吉田の北口本宮(と大塚丘)、富士宮(と山宮)、富士宮の富知神社の三つということになると思います。
日本は縄文・弥生の昔から山には神がいるとされ、
江戸時代には山岳信仰による登山が最も盛んになったといい
その最高峰というべきはやはり「富士講」であり その信仰の東国の玄関とされるのが富士吉田市にある北口本宮富士浅間神社 富士浅間の総本宮は静岡県富士宮市にある富士山本宮富士浅間神社 また、相模国からの玄関として静岡県小山町に東口本宮富士浅間神社もあります 富士浅間神社というのは元々は登山信仰では無く
「浅間大神」=「荒ぶる神」とされ 荒ぶる山の神の怒りを鎮める、つまりは活火山の噴火を鎮める祈願として建てられている 長野の浅間山などは文字通りに今もなお活火山なわけです この富士浅間大神が怒り出したらそれは関東平野もろとも大変な事になるわけでして そもそも関東平野そのものが富士の火山灰により形成された「富士の恵みの平地」だと言う事も忘れてはなりません
≪ 角行の立行石 ≫
この立行石は慶長15(1610)年の冬、 富士講の開祖 角行(かくぎょう)東覚(当時69歳)が吉田の地を訪れ 富士山霊を遥拝し、酷寒の中を裸身にて、石上に爪立ちして30日の荒行をした。
全身より血を噴き、里人の勧めで行を止めたと伝えられている。
角行は本名を藤原武邦といい天文10(1541)年正月15日九州長崎で生れた。
戦国の世にあって天下泰平・国土安穏・衆生済度の大願を成就すべく 難行苦業の道に入った。
永禄2年、18歳で故郷を出立ち岩手県磐井郡の「脱骨の窟」で37日の行をなし のち神告により富士の『人穴』に入り、4寸5分角(14cm四方)の材木に 1千日爪立ちするという捨身の荒行をおえ、解脱し角行と称した。
元和6(1646)年6月3日、百六歳にて大往生したが 生涯における修行で主なものは不眠の大業1万8千800日、 立行3千日、断食3百日、造字360字、富士登頂128回に及んだといわれ 富士講の開祖となった。
高さ17.7mの大鳥居
日本武尊の故事に従い建立されたとか
仁王門
神楽殿
拝殿