北口本宮富士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田5558
- 2012.10.04 Thursday
- 16:38
境内 自由
駐車場 無料
山梨に来て一件目に到着。
中央高速道や鉄道(富士急行)が富士吉田まで伸びていることと、吉田口河口湖と山中湖の間に位置することから、スピリチュアルワーカーの活動も吉田口が多いみたいです。
北口本宮の拝殿の空間は、富士大神に奥の奥まで見られているような、もしくは富士山の胎内にいるような独特の感覚があります。
富士山の麓の浅間神社として、富士大神(ふぢおほかみ)のエネルギーの強い神社を挙げるとするなら、富士吉田の北口本宮(と大塚丘)、富士宮(と山宮)、富士宮の富知神社の三つということになると思います。
日本は縄文・弥生の昔から山には神がいるとされ、
江戸時代には山岳信仰による登山が最も盛んになったといい
その最高峰というべきはやはり「富士講」であり その信仰の東国の玄関とされるのが富士吉田市にある北口本宮富士浅間神社 富士浅間の総本宮は静岡県富士宮市にある富士山本宮富士浅間神社 また、相模国からの玄関として静岡県小山町に東口本宮富士浅間神社もあります 富士浅間神社というのは元々は登山信仰では無く
「浅間大神」=「荒ぶる神」とされ 荒ぶる山の神の怒りを鎮める、つまりは活火山の噴火を鎮める祈願として建てられている 長野の浅間山などは文字通りに今もなお活火山なわけです この富士浅間大神が怒り出したらそれは関東平野もろとも大変な事になるわけでして そもそも関東平野そのものが富士の火山灰により形成された「富士の恵みの平地」だと言う事も忘れてはなりません
≪ 角行の立行石 ≫
この立行石は慶長15(1610)年の冬、 富士講の開祖 角行(かくぎょう)東覚(当時69歳)が吉田の地を訪れ 富士山霊を遥拝し、酷寒の中を裸身にて、石上に爪立ちして30日の荒行をした。
全身より血を噴き、里人の勧めで行を止めたと伝えられている。
角行は本名を藤原武邦といい天文10(1541)年正月15日九州長崎で生れた。
戦国の世にあって天下泰平・国土安穏・衆生済度の大願を成就すべく 難行苦業の道に入った。
永禄2年、18歳で故郷を出立ち岩手県磐井郡の「脱骨の窟」で37日の行をなし のち神告により富士の『人穴』に入り、4寸5分角(14cm四方)の材木に 1千日爪立ちするという捨身の荒行をおえ、解脱し角行と称した。
元和6(1646)年6月3日、百六歳にて大往生したが 生涯における修行で主なものは不眠の大業1万8千800日、 立行3千日、断食3百日、造字360字、富士登頂128回に及んだといわれ 富士講の開祖となった。
高さ17.7mの大鳥居
日本武尊の故事に従い建立されたとか
仁王門
神楽殿
拝殿
コメント
あっち、こっちのサイトから説明文コピペしてますねぇ。
- へー
- 2015/06/08 12:43 AM
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